平安京 音の宇宙―サウンドスケープへの旅 (平凡社ライブラリー (508))

平安京 音の宇宙―サウンドスケープへの旅 (平凡社ライブラリー (508))

平安京 音の宇宙―サウンドスケープへの旅 (平凡社ライブラリー (508))

bbb: 授業の参考文献
ref: 世界の調律―サウンドスケープとはなにか (テオリア叢書)
ref: レヴィ=ストロース(p134)
ref: 虞美人草 (新潮文庫)(p284)
ref: 檸檬・ある心の風景 (旺文社文庫 51-1)(p303)
finish: 050530
音環境という視点からの都市論

プロローグ

1. 時の風景
糺の森は古代の森に近いとな

コスモスの音

2. 平安京・音のコスモス
インドネシアガムランは、「二人」で「一体」の音楽をつくりあげる、という。そのうちやってみたい。
音、色、季節などを結びつけたコスモロジー五行思想
平安京の梵鐘は、五行思想をそのまま実現するように配置されていたのではないか、との主張。は強い証拠に欠けるけども魅力的だ。
3. 制度としての耳
4. 聴きとられる空間
5. 鬼の声・都市の闇
枕草子』の内容構成は、類聚章段と日記的章段、随想章段にわかれる。(p82)清少納言は日本最初のブロガーだった。なんて、もう誰かが言ってそ。そういうテキストは貴族社会でどう流通してたのかな?
音と空間の親和的な関係(p93)音は波だから。
高声と微音(p110)こうしょうとびいん。高声は大声、中世には狼藉ともみなされた。微音は宮廷の儀式でつかわれた聖なるささやき声。声色によるアイデンティティ

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音を切り口にして源氏物語枕草子、今昔物語(の鬼)を読む。おもしろいのだが、推測も多いし、ただ聴覚に集中しただけ、とも感じられる。ほかの感覚との関係とか、なんとか。主観的なものだからかな。

カオスの音

6. 都市民のざわめき
騒音・ノイズの音。永長の大田楽では庶民が歌い奏で踊り狂った。儀礼の中でもノイズは世界的に使われる。沈黙もまた使われる。孫引き:

雑音が現前することによって意味が作られる。それは、組織化の異なったレヴェルでの新たな秩序の創造、すなわち異なった系のなかでの新しいコードの創造を可能にする(p140, Jacques Attali)

7. 利休が聴いた音
茶道の音の世界。茶会は室町時代どんちゃん騒ぎで闘茶・博打なんかも一緒の会だったのが、利休によってその後段(とその公家文化の音)がすっぱり切り捨てられた。茶の湯とは 只湯を沸かし 茶を立てて のむばかりなる 本を知るべし(p152)
8. 踊る人々、バサラの熱狂
踊りは多様な相互作用の場であった/ある。(祭り!) 民衆のエネルギーに恐れをなした政府にコントロールされもした。
9. 異文化としての「都」
戦国時代、キリスト教宣教師たちのきいた音。キリシタン弾圧にまつわる音、悲鳴。

音のポリティクス

10. 音と権力
お偉いさんが逝去したときなどに市中で音楽・歌舞音曲をなすことを禁ずる令が発せられた、という話。奈良時代律令にさかのぼり、現代では昭和天皇の場合「協力を要望する」という形だったが日本全土で音を出すことが自粛された。

なかには「天皇が死んだら歌舞音曲禁止なんて、おもろないやんけ」といって、わざわざ八日正午にロックコンサートが開かれた例(京都)もあるが、これは崩御を逆手にとった対抗イヴェントであるから、きわめて特殊な部類に属する。

私はへーん、といって無視するか、対抗しちゃう方だな。
11. 近代を先駆する音
京都の市内電車が開通した初期、10年ほどの間、走る電車の前を「先走り」する少年の姿があった。通行人の安全のため、だったが危険な仕事でもあった。こうした近代のキカイの音は文明の進歩を感じさせるポジティブな印象と共に人間性の失われていくネガティブな印象ももたらしたと言える。ルイジ・ルッソロの騒音芸術宣言にも少し触れる。
チンチン電車の合図のコード。ヴァンクーヴァーでは一回が停車、二回が発車、三回は後退、四回は緊急停車だったが、京都では…

ちなみに京都の市内電車の場合、車掌から運転手に出した合図(ベル)は、一回が停車、二回が発車、三回がポールの脱落、四回は公式にはなかったが仲間うちでは「美女発見」ということであった。(p272)

12. 紙背の音空間
近代文学から広がる京都の音空間。花の田舎となった京都と喧騒につつまれた東京の対比(夏目漱石虞美人草』)。文学の中の京都と実際の京都のイメージの相互作用。文学に描かれる「そこらしい音」が相互作用の中でイメージとして自己実現してしまうのである。梶井基次郎が『ある心の風景』に描いた音は、ステレオタイプなイメージを越えるもので、これからそうした新しい美が求められるのでないか。
13. 「町」の日常と祭礼
六角町の日常…車の音が支配しているが町屋の裏では生活音も聞こえる。交通の音はそんなにネガティブには受け取られていない。繁盛をあらわすし。祭礼(祇園祭)の時…囃子の聞こえる範囲。自分の町が囃子を持つか持たないか、囃子が聞こえる範囲にあるかないか、によって囃子の音のもつ意味が変わってくる。

外からのフィードバック

14. 祇園囃子のなかのアジア
祇園囃子の音の歴史。囃子は鉦の音の擬音語を使ってこんちきちんとも別称されるが、この金属音は超自然的な力と文化的に結びついている。金属の扱い方は渡来人のもたらしたものであり、それと共に金属音を超自然的なものとみなす文化も入ってきたのではないか。

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果てしない物語のフッフールの声も、青銅の鐘のような声だった。
15. 王宮<音>都市論
ジャワ文化の音。特に、京都と同じく都である、ジョクジャカルタ市にわけいっていく。その音空間はインドネシア語の「ラメイramai」(にぎやかさ)に象徴される。社会的階層も特徴的であり、王宮内は特別な言語と、ガムランによって他と区別される。王宮の外の市場では雑多で多彩な音がする。特に物売りは売り物別に違うものを使って音を出してお互いに区別している。さらに、マリオボロ通りに成り立つプンガメン(ストリートミュージシャン)の世界の話。世俗の音にみちたマリオボロ通りは、陰の海から陽の山へとつづくみちを成す、聖なるものとも見なせる。
16. サウンド・アートの実験
とくに外から京都にやってきたアーティストの実験について、鈴木昭男、ビル・フォンタナ、ホセ・マセダらを取り上げる。《日向ぼっこの空間》、千里耳distant ear、《ウドゥロッ・ウドゥロッ》

エピローグ

17. 空間の風景
サウンドスケープ論は、マリー・シェーファーが提起した概念である。彼は欧米の音風景について、産業革命を境にしてハイファイからローファイへと変化していったという「物語」を発見したのだが、これはアジアには完全あてはまるわけではない。といってもまぁ「私の視点」が幾つもあるわけで、アジアのサウンドスケープ物語を描くのはまだまだこれからである。サウンドアーティストとサウンドスケープ論。ともに空間的な広がりを大事にしている。
18. 都市を語る音−ベルリン
著者のヨーロッパでの調査をまとめたものから、ベルリンのところを採録。よみとばした。

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ネットは音のある風景ではない。少なくとも私の環境で、今、原理的にどうしても聞こえてくるような音はない。ダイヤルアップしてたときはキューンピーガガガとか、ADSLの時はモデムがカチカチいってたりしたけど。
しかし、プルースト全集 (6) 失われた時を求めて ソドムとゴモラ 1なんかにも描かれるように、嗅覚だって記憶との結びつきが深い。scentscapeとか、smellscapeとか、考えてもいい。
音は一次元だし計算機処理は簡単なんでないのかな。少なくともマイクは標準装備であってほしい。
音を切り口に文学作品を読んでいくところでは、単にそれだけではないか、とも思ったけど、これからの読書で新しい視点(聴点...)となってくれるだろう。意外と長かった。500頁。
あるサウンドスケープの個人にとっての意味を解いていくということは、音が何かの記号であるということで、しかし記号という言葉は出てこなかったような気がする。といって私は記号論には不案内なので、読まなくちゃ。