Trials, Triumphs & Trivialities #174: On Blogs: The Ascendance of the Form
ウェブログと雑誌の記事の質
- The Games Journal が廃刊した
- オンラインマガジンで、テーブルゲーム業界についての分析や見解をのせていた
- 理由は
- 「ウェブが進化したこと、寄稿の減少」
- これはつまり何を指すか、ウェブログである
- これはわが身のことのように感じられる
- ここ Skotos Articles Archive はトップクラスの記事を出していると思う
- が、コラムの数は減っているし、記事も少なくなっている
- ウェブログの誘惑
- 今頭に浮かんだことを書き付けて、パブリッシュボタンを押せば済む
- エディターが入り込む余地もなければ、発行日を待つ必要もない
- それは品質を監視する目がないということでもあるが
- もちろん編集を経た記事がすべて価値あるわけではない
- だがエディターに記事を送って発行してもらう行為自体が、熟考をうながし、記事の質も普通のウェブログよりもよくなる
- 同様に、ウェブログの記事がすべて低質なわけではない
- よい記事が書かれず、読まれもしない問題
- 誰もが簡単にインターネットにものを書ける
- スケジュールによって書く意欲が保持されることがない
- エディターによって校訂、改訂、拒否されることがない
- 他の著者と考えを共有したり議論することがない
- 書き手が分散小規模化すると同時に、読み手も分散小規模化する
- この問題は第二世代のRSSリーダーの登場で解決に向かいつつあるようだが
- 解決の展望
- 編集サイトというのは、エディターが記事を承認し、記事を出す日がそれぞれ決まっているウェブログと同じ
- 例えば Gone Gaming ではエディターはいないが記事を書く日が決められている
- だがウェブログらしくないので主流にはならないだろう
- アグリゲーターが編集者の役割を果たす
- よい内容のものだけを集めてきて、校正すらするかもしれない
- 内容のもっとオープンな所有権のスタンダードがいるだろう; Creative Commons のような
- Skotos Article Archives については