The Power of Conversation. Many-to-Many:

会話のパワー.今日はアウトラインではなく全訳してみる

"もはや私はものを読まなくなった; ただ、読んだ人と話せばいいのだ" - Dr. Tom Malloy、ユタ大学
この会話についてのマロイ氏の皮肉なコメントは、そう、会話についての熱心な議論を巻き起こした.二人の人が会話しているとき、それぞれの頭にはこれまでに読んだものから引き出したアイデアがつまっていて、彼らはそのアイデアたちを代表しているわけだ.つまり、会話は多対多の相互作用であり、参加者を介してもいるし、参加者に制されもする.一つ一つのアイデアが参加者に共有された会話空間に持ち込まれるにしたがって、個々人の人はアイデアを分類し、並べ替えをし、タグをつけていく.
つまり、これはミーム、あるいは個々のアイデアにとっては、会話が発生したときに新しいつながりを作ることがとても有利になるということだ.ドーキンスの「利己的な遺伝子」の考え方と同じように、これら「利己的な意伝子」は人間が会話をするたびに寿命が長くなるのである.ミームにとっては、会話はセックスのようなもの、混ざり、合わさり、自分よりも後に残る子孫を残す機会なのだ.
さらに、インターネット、携帯電話、ソーシャル・ソフトウェアが使われるようになったことで、ある瞬間に行われている会話の数は大きく増えた; チャット、ニュースグループ掲示板、さらにはコメント欄のにぎやかなウェブログでも.これらの会話チャンネルが登場したことで、様々なミームが生き延びる可能性は疑いなく天井知らずに大きくなっただろう.
だが、本当にすばらしいのは、この容赦なく情報にさらされる時代になっても、会話によって世界を渡り歩くことができることだ.テクノロジー満載のかしこいRSSリーダーを設定するかわりに、ただ誰かウェブログを読んでいる人と話しに行けばよい.ブックマークを整理するのに何時間も費やすかわりに、何か必要になった時に尋ねまわればよい.
しばらく前に、私は誰かにきいた方が自分で探すよりも早く目的のものを手に入れられることを発見した -- まさに、大量の情報を、今やどんなトピックについても手に入る溢れんばかりの情報を、処理するのにかかる時間のためだ (わからない人は google をしばらくのぞいてみよ) !
つまり、ソーシャルソフトウェアのようなコミュニケーションに関する技術の真の価値は、古くから変わらない情報処理の方法、たとえば会話をする能力を、新しくおもしろいやり方で向上させ、再び使うことができるようにする点にあるのだ!
さあ、これを読むのをやめて誰かと話しに行こう. :-)