誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)
誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)
- 作者: ドナルド・A.ノーマン,D.A.ノーマン,野島久雄
- 出版社/メーカー: 新曜社
- 発売日: 1990/02/01
- メディア: 単行本
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ref:インティメイト・マシン―コンピュータに心はあるか
コンピュータが人の生活にどのような影響を及ぼすか。全体として、この本はきわめて興味深く重要なものである。(p.371)
ref:The Second Self: Computers and the Human Spirit (The MIT Press)
ref:Literary Machines ハイパーテキスト
1章より、よいデザインの原則
- 可視性
- みえることによって、ものの状態と、何ができるかがわかる
- よい概念モデル
- デザイナーは、ユーザーにとってよい概念モデルを提供しないといけない。操作とその結果の表現に整合性があって、一貫的で整合的なシステムイメージをもつモデルであること。
- よい対応づけ
- 行為とその結果、操作とその効果、内部状態と表示の間の対応関係がわかること
- フィードバック
- 行為の結果のフィードバックが常にあること
アフォーダンス: 事物の使い方のメンタルモデルを喚起する引きがねとなる、事物の特徴
2章より、行為の心理学
人間はなんでも説明したがる生き物である。ものごとの因果関係をみつけだし、原因をどこかに帰属しようとする。(間違って)何かの失敗の原因を自分自身に帰属してしまうと、学習された無力感(learned helplessness)をもってしまう。自分自身に帰属してしまう過程に人的な要因があれば、これは教えられた無力感(taught helplessness)とよんでもいい。
- 行為の七段階理論
- ゴールの形成、何かを実行しようという意図の形成、実際の行為の系列にまで詳細化、行為系列の実行、外界の状況の知覚、知覚の解釈、解釈のゴールに照らした評価
各段階での、心の中の状態と外界の状態の間にあるへだたりがクセモノ。よいデザインの原則は、このへだたりをせばめてくれる
3章より、内的知識と外的知識
内的知識(記憶)と外的(記憶)は思い出すスピード・学習コスト・使いやすさ・美しさなどの面でトレードオフの関係にある。
- 内的知識
分類は幾つかできて、短期・長期、手続き・宣言、それから
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- 恣意的なものに関する記憶:機械的に学習するしかない
- 意味のある関係による記憶:恣意的な解釈にもとづく。記憶術だ
- 説明による記憶:なぜかを説明するメンタルモデルにもとづく
- 外的知識
例えばreminderがあって、signal(何か思い出すことがある)とmessage(その、何か)に分けられる。キーボードのラベルも外的知識(記憶)。外的知識の表現のデザインには、対応付けとアフォーダンスに留意のこと。うまく対応付けがされていれば、究極的にはラベルはいらない。例えばコンロとそのスイッチの位置を対応させる。
4章より、何をするかを知る
- 物理的制約:そのまんま、指輪と腕輪、鍵穴と鍵
- 意味的制約:この目的を果たすためにはこうしかない、といったもの
- 文化的制約上二つからは制約されないけれども、文化的に。新しい機械には、文化・慣習・決まりが成立してないので、この制約が無い(ゆえに使いづらかったりする)
- 論理的制約:考えたら、ふつうこれしかない、てやつ。「自然な対応づけ」はこの制約を活用している。
- グループ分け問題
- たとえばボタンをグループにわけ、離しておいたり、違う形にしたりする
- 対応づけ問題
- 位置情報や形情報をそのままコントロールにマップする
可視性可聴性も大事である、フィードバックになるから。
5章より、エラーについて
slipとmistakeがある。考えないでする間違いと、考えてする間違い。または、正しいゴールを立てていた場合と、間違ったゴールを立てていた場合。
- slips
- capture errors: よく慣れた行動があまりなれてない行動を上書きする。(休日朝早く家を出たら会社に行ってしまった)
- description errors: 意図の内的な記述が不十分ため、ものを取り違える。(洗濯物をトイレに投げ込んでしまった)
- data-driven errors: 間違った入力データをもとによく慣れた行動をする
- associative activation errors: 間違った連想が引き金になって間違った行動をする
- loss-of-activation errors: ゴールが活性を失って、何をするのだったか忘れる。
- mode errors: 装置が今どのモードにあるかを忘れたまま行動する
作業の構造には広さ(選択肢の数)と深さ(手順の数)がある。日常的行為は狭くて深いか、広くて浅い、というように制約されていて、無意識のうちにも出来るようになっている(のが望ましい)
強制選択法は有効である。鍵を抜かないといけなかったり、などの物理的制約。計算機のエラーメッセージもそう。
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日常行為は作業の構造が制約されていて無意識のうちにも出来る、というところ。かえって「あぁ、めんどくさい」とか考えてしまうと、出来なくなる。心を無にして、あるいは全然別のことを考えながらやらないとダメだ、ということを最近発見した。
6章・7章より、デザインという困難な課題、ユーザ中心のデザイン
進化的に漸進していくデザインの仕方で、伝統的道具は進んできたが、現代のデザイナーにかかる経済的・文化的圧力のおかげで、使いにくいが賞はもらえるデザインが多くなっている。
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対応づけ、というのは比喩をもとにしたテクニックだ。
神経接続とか、脳波操作とかの時代のデザインはどうなるのだ。
UNIXやviは可視性が低く、内的知識に頼らせることが多いから、慣れたら速いけどとっつきにくい。
可聴性について、ノイズにもなるから注意が必要、とこの本では書かれているが、指向性のピンポイント音響システムが最近はあるらしい:HyperSonic Sound、Audio Spotlight、ここだけ。
コントロール幻想。私たちは意識して行動してると思ってるだけなんじゃないだろうか?意識と言うのは間違ってできた小さなループなんじゃないかと思うことがある。
p.193あたり、コネクショニズムの説明で:たくさんの普通の出来事は一つに束ねられ、例外的なものはまた別に記憶される。普通のことと、ちょっと例外なことが、等価になってしまう。とある。事件事故がやたら取り上げられるのはまさにこれによるのではないかな?