北杜夫全集 第11巻 どくとるマンボウ航海記/南太平洋ひるね旅
北杜夫全集 第11巻 どくとるマンボウ航海記/南太平洋ひるね旅
- 作者: 北杜夫
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1976
- メディア: 単行本
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ref: ガブリエル・マルセル
finish: 050603?
どくとるマンボウ航海記
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マンボウ氏のユーモアもさることながら、海や魚や町の描写が美しいと思う。だいたい(彼の?)ユーモアっていうのは人間が登場して何かやらかすものなんだろうか。一般に、動物が出てきたとしたって、擬人化された文脈でユーモラスに語られることが多いような気がする。こじつけかな。
冒頭の書き出し、マダガスカル島にはアタオコロイノナという神さまみたいなものがいるが、これは土人の言葉で「何だか変てこりんなもの」というくらいの意味である。
なんとなく覚えていた。
私は齢をとればとるほど人間をいよいよ愛するようになったと自分には思われる。たしかに人類とは言わない。『人類』というような、幻想とあやまった影像とをひきおこさせる抽象的な言葉は大嫌いだからである(p44、ガブリエル・マルセル)
引用ばっかりしてていいものかとは思うが、よいものは告げ知らせたくなるものだ。ズールー族の死に関する神話:
神様がある日カメレオンにむかって、さあ人間のところへ行って「人間どもよ死ぬな」と言ってこいと命ずるのだが、命をうけたカメレオンはノンキにのろのろと進み、途中で桑の実を食べたり日向ボッコしたりしている.その間に神様は気が変って(実際神様というものはどえらい気まぐれ者である)トカゲを呼んで逆の命令を与える。トカゲはのんびりしているカメレオンを追いこし、人間のところに先にやってきて告げる、「人間どもよ死ね」それ以来いかなる人間も死を免れなくなったというのだが、私は怠け者のカメレオンをむしろ祝福したいと思う。死んで惜しいと思う人間はいくらもいないが、死んだら祝砲をブッ放したいと思う人間はマサゴの数ほど目にはいる。
それで、カメレオンはどうしたのか? 人間はそんなにほいほいと神様に従ってしまったのか?
南太平洋ひるね旅
ハワイ、タヒチ、フィジー、ニューカレドニア、サモア
西サモアにて、ロバート・ルイス・スティブンソンの墓を訪ねる。山の上にあるその墓には三方に銅版がはめられている。その一つには、彼自身の手による詩句が刻まれている。
(p247)著者がサモアから写し帰ったものをまたここに写しておくのも一興である:
Under the wide and starry sky, Dig the grave and let me lie. Glad did I live and gladly die, And I laid me down with a will. This be the verse you grave for me: Here he lies where he longed to be; Home is the sailor, home from the sea, And the hunter home from the hill.
そして、おそらく著者による訳、「わが墓碑銘」:
はろばろと星かがよふ そらのした おくつきつくり われよこたへよ ほがらなりしいのち 死もまたほがら われはすすみて よこたはりぬ きざみてよ わがおくつきの石のうへ をのこはかへりぬ ねがひしところに ふなのりかへりぬ 海原より かりうどかへりぬ をかのへより
私にはこのような格調高い訳はできない。
あくびノオトより
メモ略。なまけもの論は確か教科書にのってたか、試験問題に出たかしていた。