北杜夫全集 第8巻 高みの見物
- 作者: 北杜夫
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1977/07
- メディア: 単行本
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高みの見物
目玉医者曰く、スキピオ・アフリカンヌスの詩
わがひげよ わが過去の分身よ さらばさらば バイバイよ (p.39)
児童保護委員会スイセンの、切っても切れない安全ナイフ
(p.142)船乗りクプクプの冒険 (集英社文庫 30-A)にも登場していた
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全集も半分を越した。こうして集中的に一人の作家の作品を読むのは初めてだ。読んでいると、通奏しているイメージがおぼろに感じられてくる。気の強い祖母、見合いで相手の悪口を言ってしまう男、独り者の叔父、飛行機や虫に夢中になる少年。繰り返し出てくるので飽きがきたりもする。
自分の頭の中身をどんな風に変換して表現するか、SFも私小説も程度の違いなのかもしれない。
少年と狼
棒よ棒よ、足になれ
うつくしいまでに愚かな
大人たちめ。デヒタが大人に毒されていく。かなしくて同時に可笑しい。
あちらの少年とは違って、デヒタは嘘をついていたわけではない。彼には本当のことだったのだ。でも、大人の常識と現実にとっては嘘だった。彼はうそつきになった。最後の狼は救いなのか破滅なのか。
彼は新しい日記帳を抱いて泣く
でもねえ、僕は丸いガラスみたいな球の中に住んでいる。その中のことしかわからない。ときどき、外の世界がガラス球に映る。そうすると、僕は一生けんめい考える。でも、あんまり沢山は映らないんだ。なにしろ僕のガラス球はとっても小さくて曇っているんでねえ(p.238)
処女
そして、彼女、美都子も。
活動写真
平凡の極みからでるかたくなな意志は、奇人の頑固さにも似かよっている。
(p.270)
山形の田舎から出てきた異邦人、という描像は楡家の人びとの徹吉や蔵王山に通じるものがある。
カツラならとんでいってしまいそうな風の吹き具合だ。
(p.275)
第三惑星ホラ株式会社
私は学術書のように正確な、あるいは学術書のように不正確な本をかくことを意図しすれ、ホラをふこうなどという魂胆はさらさらなかった。
(p.286)
本当と思えない真実
, ホラのような真実
(p.287) 少年と狼のデヒタの「嘘」に似ている
ここに描かれる一見眉につばしたくなるエピソードの数々は、つまり真実なのだ。
「私はホラふきです」と言ったらどうなるのかな?ホラのような
、だからホラは真実というわけではない。だから論理学者にとってはウソつきのクレタ人もホラふきのクレタ人もかわらない。
妙に耳についた高等学校寮歌:
グルグルグル アッホー
とらまえろ イタチを
ハウ! ハウ! ホウ!
とらまえろお ハゲタカを
グルグルグル アッホー
とらまえろお 老いぼれグマを
ギギギ なんでも鍋にぶちこむぞ
ホウ ホウ ホウ!
朝の光
長い長い一年を、そう、一生涯の長さをもつ一年を生き、老人は今朝の光を迎えようとしている。
っていうんだったらもっと良かった。ウソっぽいか。
宵
風の吹きぬけるような距離のある夫婦。よくわからなかった
うつろの中
とても日常的な描写なのに、ハードなSFという感じがする。お気に入りだ。
推奨株
タヌキ族一同生命をかけておりますから
って、本気だ。
月世界制服
イッツアライ島。ホラじゃないのね。
陸魚
異邦人の目、というテーマで、「うつろの中」とかとまとめられる。非日常を日常的に、とかでも。
雪は生きている
ちょっと訓話のにおいはするけど、そんなに はなにつかない
赤いオバケと白いオバケ
コマーシャリズムは嫌いだ。オバケをこわがるオバケ
みつばち ぴい
小さい時によんだとしても、はたらきものであることと、あそんでいて まよって しまった ことには 何の関係もないゾ、とつっこんでただろうか。
ローノとやしがに
ローノもやしがにも愛せるキャラクターだ、と思った。
さっちゃんとパパとママ
子供の夢を四角四面に説明してしまう父親、というのは「少年と狼」に通じる。「少年と狼」の父親も、デヒタを愛してはいる。でも、愛しているだけではじゅうぶんではないこともあるのだ。このお話とは関係ないけど。