フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで

フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで

フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで

bbb:情報考学で別の著者の同じテーマのが紹介されていた。あちこちの書評を見るとサイモン・シンの方がよい、とあった。

新しいアイディアにたどりつくためには、長時間とてつもない集中力で問題に向わなければならない。その問題以外のことを考えてはいけない。ただそれだけを考えるのです。それから集中を解く。すると、ふっとリラックスした瞬間が訪れます。そのとき潜在意識が働いて、新しい洞察が得られるのです(p.259)
私は、良さ(goodness)の哲学というものをもっています。それは、数学はその内に良さをそなえていなければならないということです。たいていの数学者は、自分の美意識に照らして数学をやっているものです。そして良さの哲学は、私の美意識から生まれたものなのです(p.239)
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真実の枝をひたすら伸ばしていく数学の姿は魅力的に見える。
印象的だったこと: ワイルズは小さい時からフェルマーの最終定理を解いてやろうと思っていたこと、フェルマーのいたずら好きと秘密主義、ガロアの二十年の生涯、数学屋さんも共同研究していること、「18世紀の若い女性向けの数学の教科書」には笑ってしまった:

女性はロマンスにしか興味がないと思っていたアルガロッティは、ニュートンの発見の数々を、ある侯爵夫人とその浮わついた会話のなかで説明することにした。たとえば、お相手が重力の逆二乗則についておおまかな説明をすると、侯爵夫人は[...]「わたくしこう思わずにはいられませんわ・・・・・・距離の逆二乗に比例するということが・・・・・・愛情においても認められるのではないかしら。それゆえ八日のあいだ離れていると、愛情は最初の日の六十四分の一になってしまうのですわ」(p.143)

Absence makes the heart grow fonder. 会わないでいると人の心はいっそう愛情が深くなる. ともいいますことよ?
ワイルズフェルマーの最終定理というただひとつの定理の証明をしたのだけれど、そのためには数学の幾つかの分野を総合して取りくまなければならなかったし、そこまでには幾人もの人の仕事がある。何かに決めてしまうのがこわいなんて言ってる場合ではないのだ。
証明の道筋を簡単にメモ:

FLT. フェルマーの最終定理
F: x^n + y^n = z^n は解をもたない(n>2
E. 楕円方程式(楕円曲線
y^2=x^3+ax^2+bx+c (abcは任意の整数)
G. フライの楕円方程式
y^2=x^3+(A^N-B^N)x^2-A^NB^N(ABは、フェルマー方程式の解(N>2): A^N+B^N=C^Nフェルマーの最終定理は成り立っていないとした場合のことである)
M. モジュラー形式
複素平面における関数で極端なほどの対象性をもっています。
TS. 谷村=志村予想
すべての楕円方程式はモジュラーである

ここで、フライの楕円方程式はきわめて異常な性質をもつので、モジュラーではありえない。つまり
FLT \leftarrow (\neg F \rightarrow FLT,\, \neg F\\ \qquad\qquad\qquad\leftarrow (\neg F\leftrightarrow\neg G,\, \neg G\\ \qquad\qquad\qquad\qquad\leftarrow(G\rightarrow\bot)\\\qquad\qquad\qquad\qquad\qquad\qquad\leftarrow(\forall M(E)\leftarrow(TS\rightarrow\forall M(E),\, TS),\\ \qquad\qquad\qquad\qquad\qquad\qquad\qquad\qquad\exists\neg M(E)\leftarrow(G\in E),\, \neg M(G)))))
後半がうまくかけてない。忘れっちまったよ。