フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで

フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで

フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで

bbb:情報考学で別の著者の同じテーマのが紹介されていた。あちこちの書評を見るとサイモン・シンの方がよい、とあった。

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ひらがなの量で読ませる

漢字は表意文字だから、情報処理のスピードの上でひらがな、カタカナに勝る。
漢字が沢山有ると、速読し易い。
逆に、ていねいによんでもらおうとおもったら、ひらがなやカタカナをたくさんつかうとよい。

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どうだか。余りに多すぎると読みにくくって読みにくくって放棄されちゃうだろうな。
多分 Why visual form matters for information architecture からの思いつき

大学の講義にウィキペディアを使う

使うと一口に言っても、講義の対象として使ったり、ウェブブラウザーの使い方講義におもむろに登場させたり、と考えられるけれど、私が講義で遭遇したウィキペディアは参考文献として使われていた。
レジュメに、とある人物の生い立ちが書かれており、その最後に「ウィキペディアより」の文字があったのだ。おったまげて一人頭の中でひっくりかえっていたものだ。ただし、但し書きは幾つかあって、

  • 自分の名前でドメインをとっているような先生である
  • 勿論、ほかの事典も参考にしているし、適宜変更も加えている
  • コピペすれば、タイプしなくていいのである

後で聞きにいったところ、自分で編集した記事というわけではないみたいだった。(:編集に参加していければいいんですけどね、とのことだったので)[学生の人に]また家に帰って、[ウィキペディアの記事を]見てもらえますしね、ともおっしゃっていた。

ウィキペディアに対する、大学の教員の人たちの平均的な意識はどんなものなんだろう。認知度、情報ソースとして、など。

こうして教育に使われるということは、知識の集積のサイクルが一周りして輪が閉じるのだ、というわけで意義深いことだと思う。